水戸黄門の常識を超えたアイデア

わたしは、東京都足立区の北千住に住んでいます。

 

ここのメインの商店街は、北千住宿場町商店街です。下町の雰囲気が漂う商店街で、歩いていてお団子が買いたくなったりします。

 

千住は、日光街道・奥州街道の宿場として発展しました。江戸から一つ目の宿場で、江戸四宿(品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿)の一つでした。

 

松尾芭蕉が奥の細道に旅立つとき、門人に見送られ千住で別れるにあたり、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を詠みました。それを「矢立てのはじめ」として旅が始まったのです。

 

さて、宿場町商店街の北のはずれに、日光街道・奥州街道から分かれ、水戸街道がスタートする地点があります。

 

その地点から歩いて5分ほどの所に清亮寺というお寺があります。

 

そのお寺の入り口に、「槍掛けの松」という松の木がありました。幹が高さ約メートルから折れ曲がり、水戸街道に張り出していました。昭和20年頃に枯れたようです。

DSC06517松  

槍掛けの松のいわれですが、清亮寺にある案内板によると次の通りです。

 

「水戸街道は参勤交代の大名行列で賑わいましたが、槍持ちはいかなる理由でも槍を横に倒すことは許されません。しかし、街道一杯に張り出した松のため、一度は槍を倒さなければ通れません。

 

 そこで、街道に張り出した松を切ろうとしたとき、見事な枝振りをご覧になった、後の水戸黄門、水戸藩主の徳川光圀公は『名松を切るのは惜しい。ではここで、この松に槍を立て掛けて休み 出立の時に槍持ちが松の向こう側に行ってから槍を取り直せば、槍を倒したことにはならない』と、粋な計らいをしました。

 

 以来、この松は「槍掛けの松」と称えられ、ここを通る大名行列は、門前で松に槍を立て掛けて休むようになりました。」

 

なるほど、水戸黄門の常識を超えたアイデア、お見事です。わたしたちも、固定観念で「これはこうだ」と決めつけず、柔軟に(粋に)計らいたいですね。



【2017/09/30 10:26】 | 前に進もう |


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