日本のお城探訪(後半)

日本のお城探訪の第3回は「小田原城」です。講師は、小田原城天守閣館長の諏訪間順さんです。

 

小田原城は1454年頃に築城。1500年頃、北条早雲が支配するようになり、それから北条家が五代に渡り統治します。

 

NHKの「真田丸」に出てくる北条氏政(高嶋政伸が熱演)は四代で、氏直は五代です。この頃には、北条家の支配地域は上野国の沼田まで関東一円に広がっています。

 

1590年、豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして、数十万の大軍で小田原城を総攻撃しました。いわゆる小田原征伐です。3カ月の篭城戦の末、氏政・氏直親子は降伏しました。

 

その後、北条氏の領土は徳川家康に与えられ、家康は江戸城を居城とし、小田原城は家康の腹心の大久保忠世が治めるようになりました。

 

わたしは小田原城を訪れたことがありますが、三層の天守閣はなかなかのものです。この天守閣は平成の大改修を終え、5月1日に新・小田原城としてお目見えします。見に行きたいですね。

 

なお、わりと最近のことですが、小田原城のすぐ近くに天守閣の高さを超えるマンションが計画されました。景観を大きく損ねます。まさに城攻めを受けたわけですが、これに知恵を絞って対抗し見事にはねのけたとのことです。あっぱれです。

 

時代を超え、さまざまな形で城の攻防は続きます。ちなみに平成の大改修は、地震からの攻めに備えたのです。

 

 

第4回は「江戸城」です。講師は、日比谷図書文化館の後藤宏樹さんです。

 

江戸城は、室町時代に太田道灌が築城。その後、上杉、北条の支城となり、1590年に家康の居城となります。

 

1603年、征夷大将軍となった家康は大々的な築城工事に着手しました。その様式は、安土城(信長)→大阪城(秀吉)→江戸城(家康)と受け継がれたものです。

 

築城と同時に、江戸の町づくりを行ないました。城のすぐ近くまであった海を埋め立て、城下町(日本橋、銀座、築地など)をつくりました。

 

外堀はとても広く、天守を中心に江戸の町を「の」の字(ほぼ円形)に巡っていました。家光の時代(1636年)に完成。全長約15kmということです。

 

東西の間隔は約4kmです。東は日本橋・京橋あたり、西は市ヶ谷・四谷あたりを巡っていました。今も、中央沿線沿い(飯田橋~市ヶ谷)に見られます。

 

江戸城址に行ったら、石垣に注目とのことです。種類(築いた時代)の異なった石垣が見られます。

 

1606年に家康がつくった石垣は、「打込みはぎ」、別名「乱積み」と呼ばれ、戦国時代の面影が残り野性的な感じがします。

 

また、1657年につくられた石垣は「切込みはぎ」、別名「布積み」と呼ばれ、横方向の石の列がきれいに揃っています。

 

どこにどの石垣があるかは、実際に江戸城址に行ってのお楽しみ。なお、石垣についての詳細はこちら

 

以上、小田原城にも江戸城址にも改めて行ってみたいと思いました。

 

なお、天守のある近世の城は信長の安土城に始まりましたが、その手本となったのがお寺です。たとえば、五層の天守は五重塔を手本にしています。

 

わたしが五重塔や天守を見上げるのが好きなのは、多層塔である(高くて風格がある)ことが似ているからでしょう。

 



【2016/03/26 10:15】 | 快想BOX |


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